2014年09月03日

社内恋愛禁止の是非について

こんにちは。お疲れ様です。

皆様の職場では、社内恋愛について、何かルールがありますでしょうか?

「社内恋愛」、「就業規則」という言葉で検索をかけると色々と面白い見解が検索されます。
「社内恋愛を禁止することは、無理」という意見が、一般論のように書かれていることが多いです。

確かに、恋愛する権利は、重要な人権であり、それを会社が規制するのは厳しいという意見は理解できます。

一方で、社内恋愛を規制する必要性がある場合もあります。
例えば、同じ会社内でカップルがいたら、周りが気を使うかもしれませんし、部下が上司の恋人であれば厳しい指導がしづらくなるでしょう。
会社でいちゃいちゃし過ぎて風紀を乱すこともあり得ます。いちゃいちゃが行き過ぎると、環境型セクハラになるかもしれません。
あるいは、何の規制もなければ、上司が部下の女性に激しいアプローチをかけてしまう(完璧にセクハラです)こともあるでしょう。
第3者が絡んできて、ドロドロの三角関係に発展し、職場がギスギスすることも…
等々、社内恋愛の自由を認めたら、数々の弊害が起こり得ます。あくまでも可能性ですが。

以上を踏まえ、例えば「社内恋愛の末、企業秩序の維持を乱したり、会社の業務に支障を及ぼした場合、または会社に損害を与えた場合、懲戒処分の対象となる。」という内容であれば、社内恋愛の弊害にある程度対応できるのではないかと考えます。ここに、セクハラ防止の観点や、不正防止の観点を盛り込むと、より良いのではないでしょうか。

真正面から規制をかけないで、「社内恋愛をしたものは異動」ということを暗黙のルールとしている会社もあります。
「異動」は懲罰ではなく、ただの人事上の業務命令なので、受ける印象が穏やかです。(以前もお伝えした通り、異動命令を拒否したら、懲戒免職されても仕方がない場合があります。それも考慮すると、異動命令を出すのは、なかなか上手い処理の仕方だと思います。)

会社の業績が安定して、自分の収入も安定しないと、恋愛どころじゃないのでは…と、思います。

今日はこんなところです。今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
posted by 坂元修二 at 00:11| Comment(0) | 一般

2014年07月14日

高い評価を得るには

こんにちは。お疲れ様です。

今回は雑談です。

『プレジデント』という雑誌に、面白い記事がありました。6月16日号なので、バックナンバーとなりますが、「毎日が楽しくなる言葉」という特集記事でした。

マキャヴェリという、16世紀初頭のイタリアの、外交官かつ政治思想家だった人の言葉に、「偉大な事業をなし、比類のない模範を自ら示すことほど君主に対する尊敬をもたらすものはない」というものがあるそうです。
記事の中で、この言葉の解釈が面白く、かなり端折りますが「結果を残してこそ評価される」というものでした。

口で「頑張ります」「やる気があります」と言うのは簡単です。行動に表れなかったらその言葉は嘘ということになります。

話が少し変わりますが、学生時代ラグビーをしておりました。初めて見た先輩方の試合が、「108対0」という惨憺たる結果でした。試合後に監督が、「0という数字には、何を掛けても0だ。0点の試合を何試合やっても0点のままなんだ」と言っていました。目を覆いたくなるような点差とともに、(断っておきますが、先輩方は、私よりも優秀なプレーヤーでした)学生時代からずっと胸に刺さっていた言葉でした。

先の記事と合わせて考えると、「行動であれ結果であれ、とにかく形として、多少なりとも何か残さなければ、進歩は見込めない」という意味だったのかな、と今更ながら思います。

どんなに小さなことであっても結果を残すことにこだわってみよう、と再認識できる記事でした。

今日はこんなところです。今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
posted by 坂元修二 at 00:27| Comment(0) | 一般

2014年05月13日

偶然完全

こんにちは。お疲れ様です。

今回は雑談です。

先日、NHK総合にて、「ラストデイズ 勝新太郎×オダギリジョー」という番組を見ました。

勝新太郎の軌跡をオダギリジョーが追う、という内容の番組で、大変面白かったのですが、勝新太郎の名言で偶然完全という言葉が出てきました。

大雑把な意味は、「台本通りの映画ではなく、偶然起こった出来事を取り入れることで、完全な映画が出来上がる」というものです。
人生は偶然の重なりなので、リアリティを追及するために偶然を取り入れるというのは、ある意味理に適っていると思いました。

私はこの言葉を聞いて「世の中に無駄なことなんてない」と自分が良く言っていたことを思い出しました。
遊び好きな大人も好んで使う言葉ですが、私はこの言葉を生徒に対して話していました。

私は、学生時代の塾講師から始まり、教員まで、延べ10年程、学生相手の仕事をしていました。
良く受けた質問(愚痴)の一つが「〜の勉強をして、何か役に立つの?」というものでした。

それに対する答えは、「そういう決まりなんだから、黙って勉強しなさい」という無茶苦茶なものから、「どこかで役に立つよ。無駄になることは無いよ」という当たり障りのないものまで、自分の中でいくつか、パターン化されておりました。

学生が相手だった時には、「正しいこと」を教えなきゃいけないという意識から、私の視点は固定化されていたと思います。

今やっている仕事は、基本的に大人相手の研修なので、「どういえばこの人は納得してくれるか」を常に考える習慣が身についているように感じます。

今なら、学生からの質問に対して「無駄かどうかは、最後までわからないよ」という答え方をしそうです。


…と、テレビを見ながら考えておりました。

今、私が研修業務や社労士、カウンセラーの仕事をやっているのは、所々偶然が重なった結果でもあります。結果的に、視野が広がった(多分、かなり多分、いや、勘違いかもしれませんが)のであれば、偶然によって完全に近づけた、ということなのかもしれません。

…わずかに近づいただけで、完全にはまだまだ程遠いですが。


今日はこんなところです。今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

posted by 坂元修二 at 23:28| Comment(0) | 一般